TOPICSお知らせ

2025.09.05 ブログ

新役員インタビュー

2025年6月30日に開催された株主総会において,新たに役員に就任された阿部和彦常務にインタビューを行いました。

本記事では,就任にあたっての抱負やこれまでのご経験,今後のビジョンなどについて伺いました。

幼少時代~学生時代について

出身は宮城県岩沼市(常磐線・国道6号線の終点)。昭和41年(いわゆる丙午)6月28日生まれ。かに座。血液型はB型。会社員の父と美容師の母の長男として生まれました。

自宅は仙台市八木山(動物園やベニーランドという遊園地があるところ)で今は家内と高校3年生の次男と3人で住んでいます。長男は大学院の1年生で神奈川県川崎市に住んでいます。私は現在,単身赴任中なので,仮に次男が進学等で家を出ると家族4人バラバラの生活になりますが,我が家にとっては適度な距離感で家内安全・夫婦円満にはいいかもしれません。

生まれた時から体が大きく,小学生の時の整列ではいつも一番後ろでした。丙午生まれなので同級生に女子が少なく,フォークダンスはいつも男子とばかり踊っていました。ほかの男子がとても羨ましかったのを覚えています。どちらかというと運動は苦手でしたが,放課後は野球などをやっていました。それもあって中学校では野球部に入りました。中学2年の10月に両親が家を建てたのを機に引越し,隣の名取市の中学校に転校しました。転校初日から学生服はダブダブのボンタン(知っている方は一定の年齢の方でしょうか)に上着は裏面全面刺しゅう入りで,周りからはガンつけられましたが,体が大きかったので特に何事もなく卒業できました。

高校では体の大きさを目いっぱい活かそうとラグビー部に入りました。5番ロックのポジションでした。チームはさほど強くはありませんでしたが,高校3年の春にラグビー部の仲間と「コント55号(萩本欽ちゃん・坂上二郎さん)のぴったしカンカン(司会は久米宏さん)」という番組に出演し,ゲストは石原真理子さんでした。実物の女優さんは高校生からはとても眩しかったのを記憶しています。

1年の浪人を経たのち,関西の大学に入りました。ラグビーが強い学校でしたが体育会ではとても私のレベルでは通用しないので,サークルでアメリカンフットボールを楽しみました。関西のくそ暑い夏の炎天下であんな道具をかぶってプレーしていたとは今では全く考えられません。この4年間の一人暮らしが今思うと一番楽しく,行かせてくれた両親には感謝しかありません。

ラグビー部の仲間と集合写真 (ボールを持っているのが本人)

アメフト時代

趣味・生活面について

趣味は,会社に入ってすぐ始めたゴルフですが,35年もやっているのにさっぱり上手くなりません。いわき市はゴルフ場がたくさんあるし,冬もできるのでたくさん楽しみたいです。スコアは聞かないでください。もう一つの趣味は海外旅行です。学生時代はエジプトやギリシャ,トルコなどへ行きましたが,会社に入ってからは独身時代はラスベガス,今はハワイがお気に入りです。ただし英語は全くできません。

エジプト ルクソール・王家の谷 友人と2人

ラスベガスの夜

特技は,小学2年生から始めた珠算(そろばん)です。検定7段(全国珠算教育連盟)を持っています。小学4年生と6年生の時には「東北7県珠算競技大会」で2度優勝したこともあります。暗算は今でもまあまあできます。当時は遠足のおやつ代を計算するのにみんなから重宝されましたが,今は飲み代の割り勘計算ぐらいしか使い道がありません。

好きなことは,録画した映画やテレビドラマを見ながらウィスキーをたしなむことです。以前は2時間サスペンスが好きでした。ウィスキーはバーボンロック,特にワイルドターキーとメーカーズマークがお気に入りです。パチンコ,競馬,麻雀など賭け事全般も若い頃からやってきましたが,パチンコは7~8年前に15連敗し,いやになって辞めました。麻雀もゴルフ同様上手ではありませんが,メンツが足りない時は是非お誘い願います。

 

これまで携わってきた業務について

東北電力入社当時はバブル全盛期で,五百数十名の同期がいました。電力会社の事務屋は,普通は営業所に入社して電気料金の計算や徴収に励むものですが,私はなぜか山形支店の総務部経理Gに配属になり,そこで5年間過ごしました。その後は本社へ転勤になり,企画や原価,経理を行ったり来たりしました。

勤務地は仙台のほかには岩手県盛岡市に3年,秋田県大仙市に2年,いずれも単身赴任でした。盛岡に赴任する前日の晩に家内が産気づき,病院へ送ったり,当時4歳だった長男を実家の両親のところへ預けに行ったり,予定日までまだ日もあったことなどから心配で眠れない夜を過ごしたのを覚えています。大仙市では「大曲の花火」を堪能しました。小名浜の花火も十分綺麗ですが,「大曲の花火」は全国花火競技大会ですので,みなさん,ぜひ一度は足をお運びください。

仕事での「苦労話」や「失敗談」は忘れっぽいのでほとんど記憶にありません。酒を飲んで寝ると嫌なことは翌朝にはきれいさっぱり忘れています(大事なことも忘れてしまいますが)。「成功談」は数えるぐらいしかないと思いますが,もちろんこちらも覚えていません。

当社の印象と今後について

前の会社の社員平均年齢は45歳近かったので,当社は「若い方がとても多い」のに驚いています。また,皆さん挨拶も元気にされるので,朝からとても気持ちがいいです。また,初めて植田の国道6号線から間近に見た当社の巨大設備にも驚きました(あやうく発電所専用車線から中に入るところでした)。それとこれが一番ですが,当社は「地域との距離がものすごく近い」ということを感じています。当社は今年で創立70周年を迎えますが,先輩方がいかにこれまで地域の皆さまを大切に想い,良好なコミュニケーションをとられてきたのかをヒシヒシと感じています。これが当社の一番の財産で今後も守り続けていきたいものです。

当社の今後については,毎月の月例会でも皆さん朝の講和でお話されているように,「脱炭素の観点からの石炭火力の未来」というのは,当社としても大きな課題というのは論を待ちません。しかしながら,当社は70年にもわたって蓄積された技術力や地域からの信頼,お客さまの満足などを有しており,国内炭から海外炭への転換や炭化燃料や木質ペレットの率先導入,IGCCへのチャレンジなど,常に時代の変化に柔軟に対応してきました。この柔軟力やスピーディーな対応力こそが当社最大の強みであり,当社のDNAにも深く刻み込まれています。これらを今後も遺憾なく発揮して皆さんと一緒に明るい未来を築いていくことが私の目標です。

社員に向けてのメッセージ

社会人になって36年,仕えた上司は100名程度,職場の同僚は数百名。本当にいろいろな方がいました。今ならパワハラで一発退場という方も片手では足りません。当時は五寸釘と藁人形とまでは行きませんが,家に帰っては風呂場で散々悪口を言って鬱憤を晴らしたりしていました。それも今ではいい思い出とは言いませんが,人生の糧・肥やしにはなったと思います。

当社にもいろいろな方がいらっしゃると思いますが,会社をもっと良くしたい,気持ちよく働きたい,給料をもっと上げてもらいたい,など皆さんが望んでいることは大体同じではないでしょうか。そこへ到達するためのアプローチがちょっと違ったり,目指すレベルに若干の濃淡があるぐらいの違いではないでしょうか。そうだとすれば,いずれ分かり合えます。職場の仲間には今一歩寛容な心を持って接していただければいいなと思います。

また,コミュニケーションの関係で付け加えることとして「伝える」と「伝わる」は全く違うということをいつも頭の片隅において仕事へ臨んでいただければと思います。人は都合のいい話しか耳に入りません。必ず何らかのバイアスがかかります。伝えたら伝わったかどうか確認する,これが大切です。家でも「信頼と確認は異なる」を信条に,しつこいぐらい何でも確認し,時々家内や子供達はぶちぎれていますが,このスタンスは変えません。

もう一つは「前例を疑ってかかる」「とりあえず否定してみる」ということを当社の風土として根付くことを強く期待します。先ほど「70年にもわたって蓄積された技術力や地域からの信頼が当社の一番の財産」と申しましたが,さらに蓄積するには,やはりこれまでのやり方と何か変えないと新しいこと,付加価値は生まれないと思います。先月の経理GのJKCで,「まずは現状否定してみた」という記載があり,嬉しくなって「品質向上」や「創意工夫度」にものすごく高い点数をつけました。内心は「もっと早くできなかったのかなあ」とは思いつつも,その姿勢に深く共鳴しました。

最後になりますが,「寛容な心」と「前例踏襲をまずは否定してみる思考」で「明るく,楽しく,元気よく」皆さんと働いていきたいです。